第4回
『青銅器の見方』

2015年1月

今回の名品 
大英博物館所属 商時代青銅器
推定市場価格50億円

 商(殷)時代青銅器の見方を簡単ではありますがお伝えします。ご存知の通り、商時代の青銅器と言えば全ての青銅器の最高峰、最高位に位置するキング・オブ・ブロンズです。商時代と言えば「酒池肉林」の言葉が生まれた時代ですから、青銅器も酒器関係がほとんどです。以下wikipediaからで恐縮ですな、便利にまとめられていたので転載致します。


爵(しゃく)
- 温酒器、飲酒器。中国の青銅礼器のうち、もっとも早くに出現したものである。二里頭期から作例があり、殷代に盛んに作られたが、西周時代になって作例が減り、西周後期には消滅する。くびれのある胴に三足がつき、把手(鋬)を有し、口縁部は非対称形で、「流」という樋状の注口と、その反対側にバランスを取るための「尾」という三角状の突起がつく。「流」の付け根付近に「柱」という2本の短い棒状のものを立てるのが通例である。「柱」の用途は、ここに何か布状のものを掛けるためと思われる。底部に煤の付着したものがあることから、実際に温酒に使用されたことがわかるが、飲酒器としての意味合いもあったとされる(当時信仰されていた神は、爵を用いて酒を飲むと考えられていた)爵には大型のものはなく、高さは十数センチから二十数センチ程度のものである。このことは、爵は儀式の際に人が実際に手に持つ器であったことを示唆する。

斝(か)
- 温酒器。殷前期にわずかな出土例があり、殷前期には盛んに作られ、西周前期まで製作される。三足を有し、器形は爵と似た部分もあるが、爵より大型で、爵と異なり「流」や「尾」をもたない。

觚(こ)
- 飲酒器。殷前期からみられ、殷後期に流行するが、西周時代前期には他の器種に取って代わられる。爵とセットで出土することが多い。全体に細長く、口縁部、胴部、脚部に分かれ、口縁がラッパ状に開く。

觶(し)
- 飲酒器。殷後期に加わった器種で西周前期まで製作された。觚よりは器体が太く下ぶくれになる。

角(かく)
- 温酒・飲酒器。殷前期にはわずかに出土例があり、殷後期から西周中期にかけて製作された。爵に似るが「流」をもたない。出土例が少なく、特殊な器であったと推定される。

盉(か)
- 注酒器。殷前期に現れ、春秋時代以降も製作された。筒状の注口と把手を有し、3本ないし4本の足がつく。蓋を伴うものが多い。欝金草の煮汁を作り、酒と調合するための器と推定される。

尊(そん)
- 盛酒器。「尊」は本来は酒器全般の総称であるが、古代青銅器の分類では、上方に向かってラッパ状に開いた広い頸部を有するものを尊と呼んでいる。これには大きく分けて2つのタイプがある。1つ(有肩尊)は頸部、胴部ともに大きく、肩部を広く作るもの。このタイプには断面が方形となる方尊もある。もう1つ(觚形尊)は、脚部・胴部・頸部の3部分が明確に分かれる酒杯形の容器で、さきほどのタイプとは異なり、肩部がない。いずれのタイプも殷前期から西周後期にかけて製作された。これらとは別に、器全体の形状が動物の形をした容器も「尊」と呼ばれ、象尊などの例がある。

方彝(ほうい)
- 盛酒器。殷後期から西周中期にかけて製作されたが、数は少ない。断面長方形の身に四柱屋根形の蓋を有するもので、枓(木扁に「斗」、酒を酌むための柄杓)を伴う例もある。銘文を伴う例によると貴族専用の器であった。「彝」は本来は祭器全般を指す言葉であり、「方彝」は、この種の容器の名称が文献にも器の銘文にもみられないことから、仮に名付けたものである。

卣(ゆう)
- 盛酒器。殷前期から西周中期まで製作された。提梁と呼ばれる吊り手を有するのが特色で、蓋を伴う。器形は「壺」に似たもの、筒型のものなどさまざまである。提梁がつくことから、酒などの液体を持ち運ぶための容器と考えられる。蓋は身にすっぽりと嵌まるタイプで、密閉性が強いことから、保存用の容器ともみられる。動物を立体的に象った容器で提梁のついたものも卣と呼ばれ、鳥形卣、虎形卣などがある。

兕觥(じこう)
- 注酒器。殷後期に集中的に作られ、以後は衰退した。身の部分はカレーソースの容器のような形で、一方に注口、反対側に把手がつく。必ず蓋を伴い、器全体の形は虎、象、羊などの動物を立体的に象る。出土例は少ない。

壺(こ)
- 盛酒・盛水器。殷後期から造られ、西周後半から作例が増加し、盛酒器の主要器種となって戦国時代まで引き続き作られた。胴部が張り、口部が狭く、頸部が長く、双耳(持ち手)と蓋を伴うものが多い。器形はバラエティがあり、殷後期には断面偏円形の扁壺が流行した。

瓿(ほう)
- 盛酒・盛水器。殷後期に集中的に作られた。広口で大型の盛酒・盛水器で、蓋を伴う(紛失している場合もある)。高さよりも横幅が広く、短い頸部と圏足を有する。肩の部分が広いのが特色で、肩に牛首、虎首、羊首などを付すものが多い。小型のものはない。

罍(らい)
- 盛酒器。殷後期からみられ春秋時代以降まで長く製作された。壺や瓿と似るが、丈が高く、口部が小さく、頸部が短く、壺とは逆に器の上部の径が太く、底面が狭いのが特色。肩に一対の持ち手がつく。断面方形の方罍もある。殷前期にも罍と称する器はあるが、これは肩に段のついた壺形のものであり殷後期から見られる。


 商時代の青銅器はまず、何と言っても造形、饕餮紋、素材が素晴らしいです。ニメーター離れて見てもスタイルが良いか、饕餮紋がクッキリと見えるかをまずは確認しましょう。次に素材ですが、商青銅器の素材は堅牢強固でありながら弾力性に富み、饕餮紋をクッキリと表す為に可塑性もあります。そういった良い素材はまず、密度が高いので見た目よりも重いです。また、良い素材には良い緑青が吹きます。鮮やかなブルー、濃密な翡翠のようなグリーンの発色を呈した緑青が吹くことが多いです。安っぽい薄緑の緑青が付いている作品は、あやしいです。

 制作方法に関して、西周後期までの青銅器は脚部分に土をつめて中子の代わりにし、そのまま製造します。故に商の青銅器の脚部分には土が詰まっています。商の青銅器なのに脚部分に土が詰まっていない作品はほぼ贋作です。西周後期からはロウ抜き整形するので、脚の内部は土ではなく全て青銅になります。贋作は脚に土を詰めません。※一部スーパーフェイクは忠実に制作方法を真似ますが、内部の土が違います。太古のオリジナルの土は、縄文土器のようにキラキラした雲母が豊富に含まれた、クッキーのようなサクサクとした良質な土です。贋作の土には雲母の煌きはありません。